ウッ

 

今に始まったことではないけれど、情報の真偽とかソースを気にしないひとが多いよね。自分に優位かとか、批判の対象になるかとか、そういう基準で楽しんでいるのかな?知らんけど。知らんし、表現の自由うんぬん〜て感じだけど、ソースを確認しようともせずに思い込みで意見しているひとを見ると哀れだなと思ってしまう。あと、主観的な話に持論をふっかけてくるひと。そんなひとについて考える必要もないんだけど。まあ、自分がそういうふうにならなければ良い。人のふり見て我がふり直せです。

飛ぶまで刺す

 

 

何かをして何も起こらなかった時、飛ぶ可能性は上がっている。

オードリー若林の書いた「社会人大学人見知り学部卒業見込」はすでに何度か読み返している。自意識過剰でひねくれ者のわたしにとって共感できる部分が多い。「穴だらけ」でのこの一行にはハッとさせられた。人生で試行錯誤していく様を黒ひげ危機一発に例えている。穴がたくさん開いている。剣を刺しても何も起こらない。でも確実に、黒ひげくん人形を飛ばす穴がどこかにある。剣を刺し続けることで、飛ぶ確率が上がっている。

何かアクションを起こした時、何も起こらないことが多い。でもそれはアクションに意味がなかったというわけではない。穴は着実に減っている。とにかく穴を減らしていくしかない。一番はじめに刺した穴が黒ひげくん人形を飛ばすかもしれない。一番最後かもしれない。進んでいる実感が持てなくても、自分の行動によって確実に、進歩していると信じて穴を減らし続けていく。うまくいかないときこの言葉を思い出し噛み締めて、また前を向きます。

1:03

 

常温で氷がゆっくりと溶けていくように、自分の輪郭がぼやけていく  カランと音を立てたときにはもう だいぶ元の形がわからない

なんだか頭がぼうっとして 身体が暗闇に沈んでいくような感覚 ときどき頬を伝うものがある 何に思いを巡らせるわけでもなく ただ時間だけが過ぎる 

夜は明けるだろうか  明日はくるだろうか  くるとしたら、前を向いていますように  愛する人に明るい未来が待っていますように

こんなときに浮かんだことがやさしくて よかった

いつかの話

 

わたしが笑えば、その場の雰囲気は壊れない。それが正解のような空気。クソみたいだ。でもそんなクソには噛み付かず、笑って、心の中では鼻で笑って、なんとなくスルーして、でも、心は少しずつすり減っていくのを感じる。なにをしているんだろう。

信念

 

好きな歌詞がある。

ミラージュ 僕が見ているもの
それが真実でも幻でも構わない
今確かに僕の目に映るなら
逃げてしまっても追いかけたいこの恋


大事なものはいつだってあやふやな存在 
手を伸ばしても何も触れられない 
でもそこにあるってこと信じるまっすぐさが生きてく力だよ

 

逃げ水/乃木坂46

 

大切なものを一途にまっすぐ信じること、それを自分の原動力にすること。これがわたしの長所であり貫くべき信念だと思っている。たとえその対象が儚い幻であろうが、その時の自分の気持ちに忠実に、信じ続ける。逃げ水のこの部分を聴いたときは自分の気持ちがぴったりな言葉で表されたことに驚いた。

 

これほど信念だとまで言っているのに、心が不安定なときはそれすら揺らいでしまう。ずっとずっと信じてきたもの ー 言葉、出来事、感情が、信じられるものなのか、不安でたまらなくなる。もちろん、対象への自分の気持ちは変わらない。ただ、時折言いようのない不安が襲う。そしてこの時、不安感そのものではなく、それまで信じてきたものを疑うような自分自身のこの感情が、恐ろしいのだ。

結局こういったことを何度も繰り返す。でもやっぱり、根本はなかなか変わらない。大切な、あたたかくてやさしい、わたしだけの御守りを胸にしまって生きていこう。時々不安になっても、大丈夫です、ここにあります。確かめて、また進んでいきましょう。

 

 

 

diary

 

どうやら今は受験シーズンらしい。バイト先の社員の息子が今日高校受験だったそうだ。その関連で、合格発表の時の心境についての話になった。その社員には3人子供がいるから受験は何度も経験している。親目線として、落ち込んだり励まそうとして話しかけすぎたりしたという話をしてくれた。わたしが受験の時はどうだったかと聞かれた。パッと思い浮かんだのは高校と大学受験のことだったから、どちらも安全パイなところを受けたわたしには特に思い入れのない話題だと思った。特になんもないですね、なんて答えた。その後ちょっと考えてみたら、あるじゃないか、それも直近の受験。公務員試験。そういえば公務員試験の時は落ちて悔しかったから親にもちゃんと言わずに一人で落ち込んでいました、と加えた。その時のことを思い出してしまい、少しだけ目の前が滲んだ。

 

勉強だけは、周りの人よりもできる方だった。でもわたしはさほど努力をしてこなかったから、それでも成績が良かったことを心のどこかで自慢に思っていた。バカだ。公務員試験の時も、どこか余裕ぶっていたのかもしれない。誰よりも必死に、絶対に叶えたいと必死に、努力を惜しまなかったか、と言われると間違いなくNOだ。なんとなく勉強ができる、という余計なプライドのようなただのおごりのせいでわたしは全力を尽くせなかったのだと思う。信じられないほどのバカだ。

試験に落ちたとき、上記のことは一通り考え尽くし頭の中で充満し呆れ果てた。(もちろん、それがすべての原因かと言うとそういうわけでもない。完全に怠けて努力しなかったわけではなし、いろんな要因があったと思う。)

それからわたしは、自分の力が全く信じられなくなった。この後さらに、就活でもなかなかうまくいかなかったからだ。唯一の取り柄だと思っていた勉強で失敗し(受験に落ちるという経験は初めてだった)、それから苦手な面接を何度も繰り返して自分がだめだと思いしらされ(これはただの経験・練習不足だとこの時は思えなかった)、どんどん自分が嫌になった。

今は過去のこととして思い出される出来事を冷静にみることができるけれど、あの時はまともに考えることもできていなかった。孤独だった。そんなことを今日久しぶりに思い出した。あれから数ヶ月経った。もう考えたくもない日々だったけれど、せっかく思い出したのでこうして綴ってみた。

 

あの時の自分へ、

人の言うことを素直に聞きなさい。自分は孤独だと思い込んで人を寄せつけずに、自ら深めた孤独に浸かるのはやめなさい。

 

最近

 

心がかなり落ち着いている。

強い執着心や醜い嫉妬心が少しもなくなったというわけではないけれど、情緒の振れ幅が小さくなった。

例えば、恋愛に関して これまでは一度会いたいと思ったらその気持ちを止めることができなかったしどうにかしてでも無理やり会おうとしていた。どうしても無理だったときはかなしくてかなしくて仕方がなかったし当たってみたりもしていた気がする。

会えないことにもやもやしたり、嫉妬しすぎて周りが見えなくなったり、その人がいないと生きていけないと思い込んで依存したり、そういう恋愛は不幸しか生まない。そんな最中にいて「でも嬉しいこともある…」ということもあるかもしれないけれど、それは"刺激→行動→報酬"のサイクルによって強化されたただの興奮だ。

恋愛依存に関して本で読み、わたしはこうなっていないと思い込みたいだけかもしれない。でも、最近は確実に、1ヶ月ほど前の自分とは違う。ずっと考えていなくたって、心の底で御守りのようなあたたかい愛がある。わたしの原動力で、強い味方。

 

とりあえずこのへんで